黒田官兵衛はどんな人物だったのだろうか? 逸話などからヒモ解く

黒田官兵衛は忠義の人?それとも腹黒い人?いったいどんな人物だったのだろうか? 逸話からヒモ解きます。
サムネ

黒田官兵衛の人柄

黒田官兵衛という男はいったいどんな人物だったのだろうか? 黒田官兵衛にまつわる逸話(エピソード)からヒモ解いていきたいと思います。

大河ドラマ「軍師官兵衛」をどういう路線で展開していくつもりなのか、当初より気になっていました。大河ドラマ開始前のNHK特番などを少し拝見した印象からすると、「一人の妻と添い遂げた、信義厚い人物」の路線で話を進めていきそうな印象を受けました。

クリーンなイメージ路線ですね。

果たして実際の官兵衛は本当にそのような人物だったのでしょうか? 私が知っている黒田官兵衛にまつわる逸話の中で、いくつか印象に残る逸話を紹介したいと思います。

逸話 (エピソード)

黒田官兵衛にまつわる逸話をピックアップ。

1年間に渡って汚い土牢に幽閉されながらも、決して敵に寝返らなかった

織田軍として中国地方に軍を進めてきた秀吉の軍事参謀(軍師)となり、播磨国(兵庫県)を中心に活躍していた時期の話です。摂津国の有岡城(兵庫県伊丹市)城主である荒木村重が織田軍に反旗を翻し挙兵しました。これを重く感じた官兵衛は単身説得に向かいますが、逆に捕らわれてしまい、汚い土牢に幽閉されることとなります。この幽閉は1年間にも及ぶ長いものでしたが、決して荒木方に裏切ることなく耐え抜きました。

側室をもつのが当然の時代に、一人の妻と添い遂げた

「戦国武将として黒田家を後世まで遺すために、側室をもつことが許される」、当時としてはむしろ当然であったにも関わらず、生涯に渡り一人の妻を愛し続けました。(これを「良」と取るかはまた微妙な話ですが)

石田三成にいじわるをした?

朝鮮出兵中での話です。東莱城で浅野長政と囲碁を打っているときに、石田三成・増田長盛・大谷吉継らが急用で来訪してきました。ところが官兵衛は「構わぬ、待たせておけ」といって浅野長政と囲碁を打ち続けました。これに怒った石田三成は、官兵衛に会うことなくそのまま帰ってしまいました。石田三成はこの件を秀吉に報告し、結果として官兵衛は秀吉の怒りを買ってしまうこととなりました。

お前の左手はどうしていた

関ヶ原の戦いでの話です。息子の黒田長政が徳川家康の下で東軍として奮戦し、関ヶ原の戦いに勝ちます。そして戦勝報告の際、徳川家康と握手を交わします。

この話を父の官兵衛に話したところ、官兵衛は「握手した手は右手か?左手か?」と問い返します。これに長政は「右手です」と答えると、「そのとき、お前の左手はどうしていた?(なぜ、空いている左手で家康を刺さなかった?)」と言い放ったそうです。

有名な逸話ですが、少し信憑性に欠けますよね。これから徳川の治世が始まるというのに、そんな発言記録が徳川家の役人に発見されようものなら、黒田家は間違いなく改易されるだろうし。

黒田長政

黒田長政

人物像

良いエピソードも悪いエピソードも紹介しましたが、どう感じたでしょうか?

官兵衛に関するエピソードは他にもありますが、私なりの印象は「かなり我が強い(芯が強い)」「家臣の身では到底収まらないような大器を持っている」といった所ですかね。

何でも上司の言うことを聞くイエスマンではなく、曲げないところは曲げない、もしくは表向きには曲げるが、裏では曲げていない、みたいな。(笑)

主君を裏切ったことは一度もありませんが、そうかといって信頼できる忠臣とはまた違うかと思います。他でも書きましたが、キレ者ゆえに、誰にもその腹の内を見透かすことができない(何を考えているのか計り知れない)危うさも持っていると思います。