織田NOBU株式会社
最終更新日 2023/10/08

大河ドラマ化してほしい戦国武将 Top5

まだ実現していない、大河ドラマ化が期待される戦国武将をピックアップしてみました。
サムネ

我、切望す

吉田松陰の妹・文(2015年)や、山内一豊(2006年)を取り上げる前に、もっと取り上げるべき人物が居るだろう!

「是非この人を大河ドラマに!」 など色々な声が上がっていると思います。

個人的に黒田官兵衛(2014年)を取り上げてくれたときは、NHKいい仕事したなと思いました。(笑)

ここでは、まだ実現していない、大河ドラマ化が期待される戦国武将をピックアップしてみました。

私が個人的に見てみたい順番です。

No.1 島津義弘

島津義弘(1535~1619)
島津義弘(1535~1619)

この人はかなり本命なのでは? 近い将来実現するように思います。

織田信長の生まれた年 1534年
徳川家康の死んだ年 1616年
島津義弘の生涯 1535~1619年

時代の網羅感がハンパない。

島津義弘は名門島津氏随一の猛将で、第17代当主。(16代は長兄の島津義久)

九州の統一まであと一歩までに迫り、秀吉の九州征伐、朝鮮の役、関ヶ原の戦いも経験。

クライマックスは関ヶ原の敵中突破。

徳川幕府の江戸時代(初期)に亡くなる。

2位 細川幽斎

細川幽斎(1534~1610)
細川幽斎(1534~1610)

武家の名門・細川家出身で、足利義輝や足利義昭に仕える。

足利義昭を奉じて上洛してきた織田信長と、足利幕府とのパイプ役を担う。

息子の忠興は、明智光秀の娘ガラシャと婚姻関係にあり昵懇である。

政治の中心京都にありながら、時の権力者、勝者の側に付く世渡り上手さ、確かな時勢眼、高い教養を備えた知将。

子孫の細川護熙は、内閣総理大臣や熊本県知事(肥後細川藩の旧領)などを務めており、現代においても政治の中枢に細川家の名前があることに驚かされる。

3位 藤堂高虎

藤堂高虎(1556~1630)
藤堂高虎(1556~1630)

ザ・転職の達人。確か7~8回、主君を変えるほどの転職マニア。

築城の名手でもある。

豊臣秀吉が死去すると、真っ先に徳川家康に接近するなど、その変わり身の早さ、時勢を鋭く見る眼力に長けた人物である。

とにかく権力者には頭を下げる優秀な犬となる。そのため、徳川家康から「国に大事があるときは、高虎を一番手とせよ」と評されるなど、その信頼も絶大であった。

一般的知名度は割と低いが、隠れ藤堂ファンは多いと思う。

ちなみに幕末には、藤堂藩は幕府を見限って新政府軍の側に付いている。

さすがである。

4位 北条幻庵

北条幻庵(1493~1589)
北条幻庵(1493~1589)

後北条家の開祖、北条早雲の3男。

驚異的な寿命の持ち主で、初代早雲、2代氏綱、3代氏康、4代氏政、5代氏直と、そのすべての時代を見てきている生き証人である。

この人自体は大した功績がありませんが、後北条5代記の語り部的な役柄で物語を進行させると、結構面白いかもと思っています。

5位 小早川隆景

小早川隆景(1533~1597)
小早川隆景(1533~1597)

中国の雄、毛利元就の三男で、小早川家当主。

謀神元就の計略・調略を目の当たりにしてきた知将。

次男・吉川元春を山陰地方に、三男小早川隆景を山陽地方に据える「毛利両川体制」の一翼である。

本能寺の変の折には、中国地方から撤退する秀吉の追撃を行わず、秀吉に恩を売っている。

その功もあってか、後に豊臣政権では五大老の一角を担う重要ポストに就いている。

まだまだ面白い武将は沢山いますが、私のTop5はこの人達です!

(割とベタだよねー)