水洗式トイレを利用し、時代の最先端を走っていた武田信玄

信長よりも一回り生まれた時代の早い武田信玄は、「スマホを使いこなせないシニア世代」のイメージを若干匂わせてしまうわけであるが、実は、時代の最先端を走っていた側面があります。
サムネ

武田信玄コラボ商品

ほうとう、信玄堤(しんげんつつみ)、信玄の隠し湯など、「信玄の○○」というキャッチフレーズのもと、優れた商品プロデュース能力と地域振興効果に定評のある武田信玄。

もはや、「本当に信玄が利用したのか?」と疑いかねない謎の商品も世に出ていそうであるが、とりあえず「信玄の○○」と命名しておけば一定の集客効果を見込めるあたり、武田信玄という男は、地域に経済効果をもたらず山の守護神といえよう。

武田信玄

地域振興の起爆剤

時勢の変化に敏感だった信玄

鉄砲より騎馬優先、天下よりも地方統一優先、1521年生まれで信長よりも一回り生まれた時代の早い武田信玄は、「スマホを使いこなせないシニア世代」のイメージを若干匂わせてしまうわけであるが、実は、時代の最先端を行っていた側面があります。

(※鉄砲に関しては、火薬に使う硝石が地理的に手に入りにくく、また地方統一に関しては、これも地理的な理由などいろいろあるわけですが)

時代の最先端を行く 水洗式トイレ

信玄と恋仲にあった高坂昌信(春日虎綱)の口伝書「甲陽軍鑑」には、武田信玄が水洗式トイレを使用していたとある。

トイレの底に水が流れるようなスペースがあり、当番の家臣が数人掛かりで人力により水を流していたようだ。

土地が狭く国土が貧弱なくせに、こんな所に貴重な人員を割いている辺り、その手腕に若干の疑問が残るが、甲州金で羽振りが良かったのだろうか?

いずれにせよ、当時としては最先端かつ非常に清潔な水回りを実現している。是非、その水洗式トイレとやらを一度見てみたいものだ。

甲州トイレの信玄

甲州トイレで、うんちしながら軍略を練る信玄

江戸の町も、下水設備が発達していた

文明の発達した現代では、今や当たり前となっている都市部の下水処理機構であるが、今から400年も前の江戸時代においても、日本人の知恵を駆使した巧みな下水処理機構が考案されていた。

江戸

100万都市 江戸

当時から世界有数の人口密集都市であった江戸の町には下水溝が隅々まで張り巡らされており、その下水溝を辿って近くの川まで排水が流れ出る仕組みになるよう、町造りがされていました。

(※ただし下水溝といっても、地上面に接した側溝のようなもの)

また、し尿などの排泄物は畑の肥料として再利用し、下水溝に垂れ流すようなこともなかったため、衛生面も保たれていました。

産業革命や電気、石油エネルギーの利用により、19世紀以降に急速に発展してきた人類にとって、それ以前の日常生活はいろいろと不便を感じるのではないだろうかと思っていたが、意外と工夫ある生活がなされていたことに驚かされます。

外国人旅行者は、日本の水洗トイレに驚く

日本人の清潔好きは、ハイテク技術を取り入れた水洗トイレにもみられる。

トイレ

心地よい水流とともに、汚い心まで洗い流されるかのような、至福の時を与えてくれるウォシュレット。このウォシュレット、海外では日本ほど普及しておらず、その存在を身をもって体験した外国人は「クレイジー!」との賞賛の声をあげている。

また、トイレ使用中の音を別のメロディーでかき消してくれる、その名も音姫と呼ばれる装置があるが、この音姫も外国人には好評のようだ。