徳川家康(1543~1616)が没して400年が経ちました。2015年度には、家康にゆかりの深い「静岡」でも、「家康公四百年祭」や「家康公顕彰四百年記念事業」なる活動が行われたようです。
家康公没後400年に何を思う?
「いや 別に?」
と思う方も多いことだろう。
私もうっかりそのまま通り過ぎる所でしたが、没後「400年」という数字と、江戸時代が「260年」続いたという事実を知っていると、ちょっと「江戸時代ってスゴイな」って思えてきます。
400 - 260 = 140(年)な訳ですが、江戸時代が終わって明治の近代史が始まって、まだ140年しか経っていないのです。
その間には明治~大正~昭和~平成と年号が変わり、日露戦争・日中戦争・太平洋戦争と、まさに軍国主義と激動の時代が続いてきました。
さらに戦後復興~バブル景気~失われた20年を経て、現代まで続きます。
本当にいろいろな出来事がありました。戦争に負けた日本は戦争放棄によって70年余り、戦争のない時代が続いていますが、それでも70年です。
こんなにも長く平和状態が維持され続け、さらには文化的にも発展を遂げた江戸時代。その礎を築いた徳川家康公はやっぱり敬意に値しますね。
誰が言ったか覚えていませんが、「創業することよりも、維持することのほうがはるかに難しい」という言葉があります。新興企業の3年以内倒産割合は70%といわれており、10年以内には90%の企業が倒産するともいいます。
企業を倒産させることなく20年、30年、はては100年と存続させることがいかに難しいことかが分かります。
いくら創業者が偉大であっても、その跡を継ぐ2代目や3代目がフヌケでは、事業を存続させることは難しいです。創業者の息子がバカ息子だったために会社を倒産させてしまったというのは、よくある話です。
もちろん、時代の変化によりやむを得ず廃業、というパターンも多いだろう。
徳川260年の基礎は、初代家康、2代目秀忠、3代目家光の3代で盤石になったといい、彼らの尽力なくして徳川幕府が260年間も存続することはなかったかもしれません。
家康は織田信長の革新的な政治や、秀吉の優れた外交手腕を目の当たりにしてきた人物であり、また信長や秀吉の失敗を自分の教訓に生かしてもいます。
秀忠は「関ヶ原の遅参」などマイナスイメージで有名ですが、難しい2代目の役割を忠実にこなし、3代目家光は「自らは生まれながらの将軍である」との気構えのもと、参勤交代の制度を導入するなど、幕藩体制の盤石化をおし進めました。
また戦乱が終わり、泰平の世が続くにつれ、庶民にも生活に余裕が生まれます。そして旅や娯楽が盛んになり、元禄文化に代表されるような江戸文化が花開きました。
ペリーが来なければ、もっと続いていたかもしれませんね。(笑)
歴史の教科書で出てくるペリーは、名前がちょっと可愛いかったり落書きの対象になったりして、何となくお茶目なイメージですが、歴史を知れば知るほど、実は日本を大混乱に巻き込んだ人物であることが分かってきます。
改めて、徳川幕府泰平の260年間ってすげー(笑)。