秀吉の軍事参謀(軍師)として、若き日の秀吉を支える。典型的な技術屋(スペシャリスト)タイプで、自分や周りに厳しく、寡黙で頑固な印象を受ける。無欲恬淡、出世欲はまるで無しだが、志は高い。唯一彼に野望があるとすれば、「己の才覚がいかほどなのか試してみたい」といった類の私欲であろうか。労咳(結核)により、惜しまれつつも36歳という若さでこの世を去ってしまう。個人的に好きな人物のひとり。
竹中(半兵衛)重治は黒田(官兵衛)孝高とともに2人で秀吉を支えたことから「両兵衛」とも呼ばれている。二人(両家)の絆は深く、心揺さぶられるエピソードに、全お茶の間が感動の渦に包まれる。
竹中半兵衛の逸話、面白エピソードを紹介!
ポーカーフェイスに定評のある竹中半兵衛。半兵衛がまだ美濃斎藤家の家臣であった頃、斎藤龍興が寵愛する斎藤飛騨守という人物に、女性のような容姿をからかわれ櫓の上から小便をかけられる事案が発生する。普通であれば怒りを態度に見せても不思議はないのであるが、このとき半兵衛は反抗することも無く持ち前のポーカーフェイスを発揮しその場を立ち去る。
このことが引き金になったのかは分からないが、その後半兵衛は16人の人数で主君龍興の居城である稲葉山城を乗っ取るという謀叛を敢行する。あの信長が何度も攻略に失敗していた稲葉山城をたった16人で乗っ取ってしまうのだから末恐ろしい。半兵衛の目的は、政務を怠りなまける主君を諌(いさ)めるためであったというが、乗っ取りのついでに小便をかけられた斎藤飛騨守を斬り伏せています。
主君を諌めるために乗っ取ったのか、それとも小便をかけられた恨みが爆発したのか、どっちなんだい!?半兵衛(笑)。まさにポーカーフェイス。半兵衛の内に秘めた恐ろしさを垣間見た気がします。
戦国時代において、馬は武将の身分・身なりを印象付ける重要な要素のひとつでした。有名な話としては、まだ貧乏人だった山内一豊が、妻・千代のへそくりで購入した名馬によって、出世のきっかけを掴んだ話がありますね。
ところが半兵衛いわく、こういった「名馬」は実際の戦場においては判断を遅らせる原因になりかねないと指摘しています。つまり、高価な馬であるがゆえにそれに執着してしまい、「盗まれないか」「傷がつかないだろうか」などといった余計な憂(うれ)いを生んでしまうというのである。
そのため、半兵衛は人の目を気にすることなく駄馬(下等な馬)を使い捨てで乗りこなしていたといいます。まさに戦場に生きるストイックな男だ。
ストイックな姿勢はこんな所からも窺える。半兵衛は常日頃から手足をぶらぶらさせたり揉んだりする動作をよく行っていた。これは主君秀吉の面前においても変わらず行っていた動作であった。傍から見ると変人のようであり、実際に秀吉の近習に「無礼だ」と言われることもあったようだ。
半兵衛が言うには「私は体が病弱なので、常に手足を動かしていないと痺れてしまいます。もし手足が痺れてしまったら、敵が襲っていたときなどに十分な対処ができなくなります。」とのことのようである。
なんというか、人を食ったような所のある竹中半兵衛であるが、歴史コラム(※サイト内)で紹介したような感動エピソードがあるゆえに、何とも憎めない人物です。