これは豊臣秀吉が亡くなる慶長3年(1598年)、病床にて五大老を集めて発した遺言とされます。
秀頼とは秀吉の跡取りのことで、このとき若干5歳。秀吉は生涯を通して子宝に恵まれず、晩年になって授かったこの秀頼が唯一血の繋がった跡取りでした。(本当は秀吉の子供ではない、という噂もありますが)
幼い息子秀頼と豊臣家の行く末を案じる、秀吉の悲痛な訴えが伝わってくる言葉ですね。
権力を欲しいままにしてきた秀吉も、いざ死の床に立たされると、ただの弱気な老人になってしまう。
そんな情景が浮かんできます。
秀吉の憂いは悪い方向に的中します。
彼の死後、天下は五大老の一人「徳川家康」の手に落ち、秀頼は家康の手によって殺され、豊臣家は滅んでしまいます。
私は秀吉の晩年って好きじゃないんですよね。千利休や関白秀次を切腹に追いやったり、小早川秀秋を小早川家に養子に出して遠方に左遷したりと。
信長三男の織田信孝も秀吉を恨みながら死んでいってるし、丹羽長秀も死の床で「はらわた(内蔵)を秀吉に送りつけろ」と伝えた逸話も残ってます。
そんな政権ゆるゆるの中でも、弟・豊臣秀吉や盟友・前田利家の人望は厚かった。
彼らを失ったことも、豊臣家滅亡を早めた一因なのではないだろうか。