「応仁の乱」以後、室町幕府や守護大名の権威は失墜し、混乱は京都から全国へ波及しました。各地域において実力のある者が領土を統治する、いわゆる「下剋上」の世の始まりです。
領国内、国境では争いと裏切りが日々横行し、領民は常に不安にさらされる毎日を送っています。
永禄10年(1567年)に天下布武の理念を掲げて以来、当社ではこの混乱に終止符を打つべく、国内の統一と秩序ある社会の実現に向け、努力を続けております。
当社城下では、座(地方組合)が持つ独占権、特権、寺社等との癒着を撤廃し、ベンチャー商人が自由に商業を興せるような政策を行っております。
また近年、関所の建て過ぎによって、通行人や商人に法外な関銭が課せられて社会問題となっております。これら無駄に多い関所を撤廃し、自由な交易と商業の活性化を図っていきます。
当社はフットワークの軽さにおいても、お客様から喜ばれております。永禄12年(1569年)の1月に発生した「本圀寺の変」においては、豪雪の中、美濃から京都まで本来3日掛かる行程を2日で走破しました。
また、元亀元年(1570年)の朝倉攻めでは、浅井氏の裏切りにより挟み撃ちの脅威に晒されましたが、羽柴秀吉の活躍もあり迅速な判断、スピーディな撤退で犠牲を最小限に抑えました(金ヶ崎の退き口)。
当社では交易の活性化、南蛮文化の吸収を目的に、南蛮貿易を推進しております。
また、キリスト教布教キャンペーン活動にも協賛しております。安土セミナリヨではキリスト教について学ぶことができます。
当社の経営理念にご賛同頂けない場合、徹底した武力行使を行っております。特に寺社勢力においてはその抵抗が激しく、軍事規模にも侮り難いものがあります。
石山本願寺は、当社と何度も衝突を繰り返してきましたが、天正8年(1580年)、本願寺の石山退去をもって一応の収束と相成りました(石山11年戦争)。