織田NOBU株式会社
最終更新日 2023/10/10

サッカー「信長ジャパン」を考案してみた

すべての恥を一身に背負って、信長ジャパンを考案してみた。
サムネ

グローバル・スポーツ

サッカーとは、先進国・後進国(発展途上国)問わず、世界中の人間が熱狂できるグローバル・スポーツである。中でも、4年に一度開催されるサッカー・ワールドカップの熱狂といったらすさまじい。サッカーの熱狂がうねりとなって世界中を掛け巡る。数あるスポーツの中で、人気とエンターテイメント性N0.1のスポーツではなかろうか。

ボールひとつあれば大勢で遊ぶことのできるサッカーは、特に南米やアフリカ諸国など、経済的に裕福ではない国のサッカー少年が、自分や家庭に良い暮らしをもたらす手段として、人生を掛けて取り組んでいる。

日本では「蹴球(しゅうきゅう)」などとも呼ばれている。古くには平安時代に「蹴鞠(けまり)」という、サッカーでいうところの「リフティング」に似た伝統的遊びが存在しており、遠く戦国時代においては、駿河のへたれ大名「今川氏真」も、この蹴鞠で爽やかな汗を流している。

サッカー(フットボール)
サッカー(フットボール)

戦国時代にサッカーがあったら?

歴史に「If(もし)」はタブー視されていることは、私も重々承知である。

「もし、信長が生きていたら・・・」
「もし、秀吉がもっと早く子供を授かっていたら・・・」

こんな推測をしても仕方がない。こんな推測をすることは、いち歴史ファンとして恥ずかしさすら感じる。しかし、今日その恥ずかしさを乗り越えて、新たな自分の一歩を踏み出してみたいと思う。

「もし、戦国時代にサッカーワールドカップが開催されていたら・・・」
「もし、合戦の勝敗がサッカーで決められていたら・・・」

すべての恥を一身に背負って、信長ジャパンを考案してみた。

信長ジャパン

サッカーは11人で行うスポーツであり、サッカーにはフォーメーションというものが存在する。

FW(フォーワード) 点取り屋。ストライカー。最前線で戦う。
MF(ミッドフィルダー) 中盤の繋ぎ役から点取りまで。中盤の屋台骨をボランチ、点取りや攻撃参加をシャドー・ストライカーともいう。
DF(ディフェンダー) 主に守り専門。最終ラインを守るセンターバック、サイドから攻撃参加をするサイドバックがいる。
GK(ゴールキーパー) ゴールを守る最後の砦。手が使える。基本的に高身長が有利。フリーキックで点を取ろうとする人もいる。

世界的な戦術の流行にはそこまで詳しくないが、昔はトータル・フットボールにみられるような「全員攻撃参加」「全員守備参加」という超絶激務が流行ったこともあるようだ。現代でも前線FWがプレッシング(守備)を積極的に行うことや、DFのサイドバックが何度もダッシュで攻撃参加することが求められている。

個人的には中盤MFの底であるボランチが最重要ポジションであると感じている。

これらを踏まえて、信長ジャパンのフォーメーションを考案してみました。

信長ジャパン フォーメーション

異論は認める(笑)。そして「弥助」って誰やねん?

※弥助は南蛮貿易によって日本に奴隷として連れてこられた黒人である。本能寺の変において、信長方として奮戦した記録もあり。

布陣の鉄則

天下布武を迅速に達成させるためにも、3トップの攻撃的布陣を採用。そして、「信長ジャパン」といいながら、監督とMF(ボランチ)を織田信長が兼任している。(交代「オレ」的な)

3トップには、「かかれ柴田」で有名な猛将 柴田勝家、出世目まぐるしい明智光秀と羽柴秀吉。

攻撃的ポジションには娘婿の蒲生氏郷、嫡男の織田信忠。彼らは若手育成の意味合いも込め、将来の信長ジャパンを背負ってもらいたい。

サイドバックには蜂須賀正勝と滝川一益の特殊任務組を起用。機転の利いた素早い攻撃参加を期待したい。特に、羽柴秀吉と蜂須賀正勝の連携には注目だ。

センターバックというか、後方支援や内政組として安土城築城の総奉行である丹羽長秀、京都所司代の村井貞勝を起用。

ゴールキーパーには、本能寺の変でも活躍した黒人「弥助」を守護神に据える。

オチなし。以上である!

光秀、信忠、信長の連携にやや難あり!?(本能寺ライン)

丹羽長秀の子孫がサッカー日本代表に!?

※この記事を書いてしばらくして、丹羽長秀の血を引く子孫「丹羽大輝」選手が、本当に日本代表DFとしてハリルホジッチ監督に召集されてて少し笑ってしまった。因果関係はなし。(笑)

丹羽大輝 (1986年01月16日 生)
身長 180cm
体重 76kg
ポジション DF
所属クラブ ガンバ大阪

しっかり者の丹羽長秀の血を引いている末裔だけあって、さぞかし堅実な守備に期待できることであろう!