男たちはなぜ、京を目指したのか ~そうだ 京都、行こう。
上洛

京に向かうことを「上洛(じょうらく)」と呼びます。織田信長も武田信玄も上杉謙信もみんな上洛を果たしています。もちろん京に観光に行っているのではなく(笑)、それにはちゃんとした理由があります。
私もその時代の仕組みが分かってなかった10代の頃は、「みんな上洛、上洛って…いったい何しに行ってるんだ?」と疑問に思っていました。では、京にはいったい何があるのでしょう?

京都

当時の京には、朝廷があり、室町幕府があり、政治の中心を担っていました。そう、織田信長をはじめ大名たちは、朝廷や幕府に会いに行っていたのです。

上洛する目的は、私の理解する範囲では、

幕府から守護職を任命してもらい、自分の領土や地方統治の名分、いわばお墨付きをもらう。
武田信玄は信濃(今の長野県)を占領・統治するにあたり、統治者の証である信濃守護職を任命してもらうために上洛しました。
※この例における上洛は、武田信玄が1572年に行った西上作戦のことではありません。
朝廷から官位をもらって、自身の権威・発言力を高める。
身分社会であった当時において、官位をもらうことは自分の身分を上げ、相手よりも上に立つための有効な手段でした。
新しい将軍を自らの軍事力において推薦し、その将軍を傀儡(かいらい。操り人形)として、京を中心に畿内(関西地方)を支配する。
現役の将軍(足利義栄)が居るのにもかかわらず、織田信長は自らの軍事力において足利義昭を新しい将軍として推薦し、畿内(関西地方)を支配するための踏み台としました。
※追いやられた現役の将軍(足利義栄)も実は、三好三人衆・松永久秀による傀儡(かいらい。操り人形)であったことが、面白いところです。

将軍やられたい放題(笑)。それほど室町幕府の権威は失墜していました。ただ、それでもまだ将軍としての権威は一定の効力を有しており、それゆえ織田信長たちに都合のいいように利用されたのです。

ちなみに当時の2大権力「朝廷と幕府」について、まとめてみました。

2大権力(朝廷と幕府) 朝廷と幕府の関係 朝廷 その他の権限

京都、行こう!