上杉景勝(うえすぎ かげかつ)
上杉景勝
上杉景勝 (1556~1623)

こんな人!

越後の名門、上杉家の17代目当主。叔父の上杉謙信は軍神として知られる人物。謙信の養子という形であり、その家督相続には多くの血が流れた(御館の乱)。織田軍には北陸方面(柴田勝家)や信濃方面(森長可)から攻め込まれ、滅亡寸前にまで追い込まれるが、信長の死という幸運に助けられ、威勢を盛り返す。豊臣政権においては五大老の一人として120万石を領し、関東の家康や奥州に睨みを利かせる。

無口な人物として有名。「男は黙って」的なノリだったのか、本当に無口な性格であったのか、どちらなのかは不明である。家臣の直江兼続は、秀吉も欲しがる逸材で、家臣になるよう口説かれていたほど。

呼び名など

  • 長尾喜平次
  • 上杉中納言

性格など

  • 口数か少なく、無口であったとされる
  • 威厳ある人物で、前田利益(慶次)からも敬愛されていた
  • 「義」を重んじるエピソードが多い。上杉征伐から引き返す徳川軍の背後を攻撃することが出来たが、上杉家の名が廃(すた)るとしてこれを行わなかったとされる。この件に関しては、上杉の背後には徳川方の伊達や最上といった諸大名が控えており、家康からも上杉の背後を牽制するよう指示が出されていただろうと推測できるので、実際に追撃するのは容易ではなかったと思われるが。

おもしろエピソード

家督相続を争った御館の乱

軍神として恐れられた上杉謙信が49歳で逝去します(1578年)。上杉謙信には実子が居らず、養子として育てていた長尾政景の息子「上杉景勝」と、同様に養子であった北条氏康の息子「上杉景虎」との間で家督を巡る争いが勃発することになります(御館の乱)。

この乱は家臣団を二分する大規模な内紛に発展していきます。内紛が長引けば隣国の武田や北条、織田といった強大な勢力に付け入る隙を与えしまい、越後国そのものが危うくなります。上杉謙信の甥(姉の子)であり、血筋で優位とされる上杉景勝は、先手を打って上杉謙信の居城であった春日山城本丸と金蔵、武器庫などを押さえることに成功します。影虎は三の丸に立て篭もり対立を続けますが、劣勢が拭い切れなくなった影虎方は、元関東管領である上杉憲政の館「御館」に移ります。そして実家の北条家に加勢を求めることになります。

北条家としては、北条家の血筋である上杉景虎が家督を相続すれば、名門の越後上杉家を後方から操ることができるようになるので、北条家は同盟国である武田家に出陣要請を行ったり、自軍は三国峠を越えて越後国境に陣取るなど、越後方に圧力を加え始めます。

そうした外部からの圧力も強かったため、内紛は1年の長きに渡って繰り広げられましたが、結局、景勝の先手を打った行動が最後まで情勢を優位に進め、影虎の自刃という形で内紛は収束に至ります。上杉影虎、26歳という若さでした。

散りゆく桜

落水(おちりみず)の会見

天正13年(1585年)、羽柴秀吉とその家臣の石田三成、上杉景勝とその家臣の直江兼続、この4名が越中と越後の国境地帯である落水(おちりみず)にて会見したとされるエピソードがあります。

両者が交流するに至るきっかけとなったのは、この会見の2年前、羽柴秀吉が宿敵の柴田勝家を後方から牽制(けんせい)してもらうよう、上杉家に要請したことから始まります。

その後秀吉は、賤ヶ岳の合戦にて柴田勝家を撃破し、北ノ庄城にて自害に追い込みます。その後は越中にまで兵を進め、越中富山城主の佐々成政を大軍で包囲します。そんな情勢の中、この落水の会見が実現したとされています。

大国の主である秀吉が、いわば敵の懐(ふところ)に飛び込むかのような大胆な行動であり、景勝がその気になれば、秀吉の首を取ることも可能でしたが、上杉家は「」を重んる家柄。景勝はこれを丁重に受け、その後、秀吉の臣下に降ることとなります。

この会見で相まみえた石田三成と直江兼続はこのとき共に26歳。この同い年の青年たちは、後に関ヶ原の合戦において「義」を掲げて立ち上がることとなります。この会見が史実であるかについては諸説ありますが、後に辿る歴史経緯を考えると、なかなかアツイ会見ですね。

石田三成と直江兼続

石田三成と直江兼続

無口な人柄

上杉景勝といえば、無口で口数か少なかったことで有名です。これは一国を統べる大将としては、マイナス要素とも思えてしまうのですが、上杉家に身を寄せていた前田利益(慶次)などは、そんな上杉景勝を敬愛していたと伝わります。

前田慶次といえば、権力者への無礼も恐れないDQN、いや傾奇者(かぶきもの)ですが、その前田慶次ですら、上杉景勝の前では非礼を働くことができなかったとされます。

ある宴会での一幕、場も盛り上がり酒が回ってきたた頃、前田慶次は猿面をつけながら猿真似をしてフザけ始めました。そのおフザけは次第にエスカレートし、大名たちが座る席まで出向いてきて、大名たちの膝に乗るなどの暴挙に出ました。誰もそれを止められず、ますます調子に乗る慶次でしたが、上杉景勝の席まで来るとそのおフザけを中断し、平静になったといいます。

そんな威厳も感じさせられる上杉景勝ですが、一度だけ皆の前で笑ったことがあります。それは、飼っていた猿が自分のものまねをしたときです。家臣に指示をするかのような仕草や、頷いたり手を合わせたりする姿が余程面白かったらしく、「ぷっ」っと思わずムッツリ笑いが出てしまったようです。

「時は来た! それだけだ」・・・「ぷっ」。