石田三成(いしだ みつなり)
石田三成
石田三成 (1560~1600)

こんな人!

長浜城主だった頃の秀吉にその才を見出され、秀吉の家臣となる。その後は秀吉の手足となって、主に内政面で主君を支えていくことになる。非常に勘違いされやすいタイプの人物のようで、武断派の諸将に相当嫌われていた。「讒言(ざんげん)が多い」「天下の奸臣(かんしん)」など、不名誉な呼び名が多いが、どこまでが真実であるかについては慎重になりたい。関ヶ原の戦いにおいて、「義」を掲げて西軍を指揮する。

関ヶ原敗軍の将としてマイナスイメージが先行してしまう人物であるが、「何のために生きるか」については人それぞれであり、三成の場合はそれが豊臣家の恩義に報いるため、義のためであったに過ぎない。

呼び名など

  • 佐吉
  • 石田治部少輔

性格など

  • 典型的な官僚タイプ。槍働きよりも後方支援、内政が得意。
  • 秀吉の悪政に対し、文句を言わず忠実に実行。そのため、批判の矢面に立たされることしばしば。
  • 己の私腹を肥やす蓄財家ではない。佐和山の居城は、至って質素であったという。
  • 死の直前まで体調に気を使う変わり者。
  • 残念ながら人望に薄かった人物。
  • 奸臣(かんしん)とも呼ばれているが、この点は鵜呑みにすべきではない。
  • 旗印に込められた「大一大万大吉」の意味は、「万民が一人のため、一人が万民のために尽くせば 太平の世が訪れる」とのこと。まさにOne For All,All For Oneの精神である。

おもしろエピソード

石田三成は奸臣であったのか?

石田三成は天下の「奸臣(かんしん)」として名が知られている。奸臣とは、権力を利用して横柄に振る舞う人間のことを指す。石田三成は秀吉という権力者の命令を実行する者として、いろいろな国政に携わったわけであるが、これに関しても「虎の威を借る狐」などといった批判が多い。

果たして本当にそうであったのだろうか?

「歴史の真実は勝者によって塗り替えられる」という言葉がある。勝者は敗者をさんざんに批判することによって、勝者がまるで正義人であるかのように仕向ける。そうすることで勝者の治世が平穏に廻るからである。

とかく石田三成に関しては、この影響が多いにあると思われる。それもそのはず、石田三成は関ヶ原の戦いにおいて西軍を指揮し、後に江戸幕府を開くことになる徳川家康を擁する東軍に敗れている敗軍の将であるからである。

石田三成という人間にスポットを当てるときは、この「勝者の歴史歪曲」も考慮に入れて補正する必要があるように感じます。

ただ、石田三成襲撃事件にあるように、加藤清正や福島正則といった武断派諸将に相当嫌われていたことも事実であり、少なからず「奸臣」と間違われても仕方ない振る舞いがあったようにも思われる。これに関しては、石田三成の「多くを語らない」性格が、あらぬ疑いの標的になったり、評判の低下に影響しているのではないだろうかと推測される。

大一大万大吉

秀吉も認めたその才覚

超インテリ、敏腕官僚タイプの石田三成であるが、その「」を巡る主君秀吉との逸話も多い。中学校の教科書にも載るほど有名な「三杯のお茶」のエピソードは語るまでもないですね。寺の茶坊主(小姓)であった三成は、この秀吉との出会いによって歴史の表舞台に名乗り出ることになります。

文治派の石田三成は、戦場での槍働きよりも軍勢の物資輸送・兵站支援のような裏方業や、領内統治といった内政面での活躍が目立ちます。柴田勝家と戦った賤ヶ岳の戦いにおいては、「賤ヶ岳七本槍」ならぬ「賤ヶ岳先駆け衆」として高い評価を得ています。「先駆け」は戦場における「一番槍」の功とされているので、立てた手柄の大きさが窺えます。

賤ヶ岳の戦いにおける羽柴軍の神速を支えたのが、三成の行った街道整備や兵糧調達、狼煙(のろし)台や早馬の設置といった通信網の整備です。他にも柴田方の動静を探るために間者(忍などの諜報員)を放ち、絶えず主君の秀吉に貴重な軍勢情報を伝えています。

豊臣政権下においては、秀吉の忠実な命令実行者として、淡々と政務をこなしています。晩年の秀吉といえば、朝鮮出兵や千利休切腹事件、甥の秀次切腹事件など、暗君たる一面が露呈してきていましたが、それでも秀吉の忠実な命令実行者として、処刑に携わったりしています。三成の讒言(讒言)によって起こった事件ともいわれていますが、確たる証拠もありません。むしろ三成にとっては、自分が批判の矢面に立って主君の泥かぶりをする方が豊臣家のためでもある、とすら思っていたかもしれません。

悩む

「義」の名のもとに

東軍に組して三成と戦った福島正則は、徳川家康によって豊臣家が滅ぼされていく様を眺めながら、たしかこんな言葉を遺しています。

「豊臣家の真なる忠臣は、石田三成であった」、と。

おいおい、気付くのおせーよ(笑)と突っ込みたくなるところを我慢して・・・。まぁ福島正則なりに一生懸命立ち回った結果であるので、過度な批判はできませんね。

性格的に不器用、立場的に批判されやすかった三成ですが、関ヶ原の戦いにおいては、彼のもとにも多くの「義将」が集まっています。盟友の大谷吉継、名将の島清興(左近)、直江兼続などです。武断派にさんざん批判されながらも、ちゃんと彼のことを見ていてくれる人は居るものですね。この辺の「俺はちゃんとお前のこと見ていたぜ」的なノリも、結構好きです。

「義」のもとに西軍に付くのか、「時勢」を読んで東軍を選択するのか、自分がもし戦国時代に生まれていたら、どっちを選ぶんだろうか・・・。こういった空想ができるのも、戦国時代を楽しめる一つの要素ですね。