北条氏康(ほうじょう うじやす)
北条氏康
北条氏康 (1515~1571)

こんな人!

後北条家の3代目当主。武田信玄や上杉謙信と対等に渡り歩き、両者に一歩も引けを取らない器量をみせる。山内・扇谷上杉連合軍8万5千をわずか1万1千で打ち破った川越夜戦は、「日本三大奇襲」と称され、その後の関東の覇権に大きな影響を及ぼす戦となる。後北条家5代の中興の祖として、重要な役割を果たした人物。政治分野においても優れた手腕を発揮し、まさに文武両道の武将といえよう。

幼少の頃は、鉄砲の音に怯えてしまうような臆病な子供であったが、成人後は顔面に「北条疵(きず)」と呼ばれる刀傷を負いながらも、勇猛果敢に戦う逞(たくま)しい武将へと成長する。

呼び名など

  • 相模の獅子
  • 新九郎 (※後北条氏の嫡男は、代々この名を名乗る)

性格など

  • 勇猛果敢。生涯において数十回に及ぶ戦を経験し、体や顔面には数々の刀傷を負う。特に顔面に負った二つの向こう傷は「北条疵(きず)」と称されている。
  • 冷静な外交戦略。西の今川義元と東の山内・扇谷上杉連合軍に挟撃される危機的状況においては、からくも今川義元との和議をまとめ、滅亡の危機を免(まぬが)れる。その後は今川義元、武田信玄と「甲相駿三国同盟」を締結し、背後の憂いを絶つことに成功する。また、自身の遺言において、「上杉謙信との同盟を破棄し、武田信玄と同盟を結ぶように」との助言も遺している。
  • 優れた政治手腕の持ち主。祖父北条早雲の代から続く「四公六民」の税制を守りつつ、また、「北条氏私領役帳」をまとめ上げ、知行と軍役の明確化を進めた。目安箱を設置するなど、民政への力も注いでいた。

おもしろエピソード

鉄砲の音にビビって切腹を決意!?

文武両道、勇猛果敢な武将として関東にその名を轟かせた北条氏康であるが、以外に幼少期は慎重で臆病な子供であったとの逸話が残っている。

氏康がまだ国王丸と呼ばれていた頃(12歳頃)の話です。家臣が訓練のために放った鉄砲の音に驚き、国王丸は思わず耳を塞いでうずくまってしまいました。

これを見た家臣達は「国王丸様は臆病者だ(笑)」と嘲笑しました。

このことを恥じた国王丸は、切腹を決意し、自分の持っていた短刀を腹に当てます。これに驚いた家臣の清水という者が国王丸を静止し、こう助言をしたといいます。

「古来より勇猛な者は、物音によく驚くといいます。それは勘が鋭いという証でもあります。」

この幼き頃の体験を経て、北条氏康は勇猛果敢かつ冷静・慎重さも併せ持つ武将へと成長を遂げていきます。怖いと思ったことをそのまま表に出す正直さと、恥ずべきことには頑(かたく)なな決意を見せる、幼少ながらに大器の片鱗を見せてくれるエピソードです。

ちなみにこの逸話の時系列に注目するに、北条氏康が驚いたとされる鉄砲の逸話は1527年頃、種子島にヨーロッパ製の鉄砲が伝来したのが1543年頃であるので、両者は別ルートのものといえます。北条5代記によると、1510年に唐(中国)から鉄砲が渡来したとあるので、北条氏康が驚いた鉄砲はこの中国ルートのものであった可能性が高いです。

勇猛な者は、物音に驚く

絶対絶命! 川越夜戦

北条氏康が後北条家の当主となってほどなく、西の今川義元と東の山内・扇谷上杉連合軍に挟撃され、滅亡の危機に立たされます。氏康は挟み撃ちに合うことを避け、西(駿東郡)の領地を今川義元に割譲することで和議を結びます(第2次河東一乱)。

挟み撃ちという最大の危機を回避し、氏康は東の山内・扇谷上杉連合軍に全力を傾けることができるようになります。とはいえ、山内・扇谷上杉連合軍は総勢8万5千。包囲されている川越城の城兵は3千。氏康が最大限動員できる兵8千と合わせても1万1千。危機的状況は続きます。

氏康はわざと下手に出て和議を持ちかけたり、兵を布陣させても戦わずに撤退させるなどして、上杉方を徐々に油断させていきます。半年にも及ぶ長陣もあって、大軍を誇る上杉軍の士気は落ち、完全に油断しきっていました。

かくして士気旺盛、存亡かけた北条軍の夜襲は成功し、8万5千の軍勢を1万1千の寡兵で破った川越夜戦は、後世になって「日本三大奇襲」と呼ばれるようになります。

小田原城

堅城として知られる小田原城

堅城小田原城での引き籠りプレイ

攻めるときには果敢に攻めるが、引き籠るときは引き籠る。

北条家が居城としていた相模の小田原城は、堅城としても知られており、上杉謙信や武田信玄とケンカして攻め込まれたときにも、頑として敵兵を寄せ付けませんでした。

名だたる武将を跳ねのけ、いわばお家芸ともいわれるこの「引き籠りプレイ」は、息子の氏政や孫の氏直にも引き継がれることとなりますが、知っての通り、天下人秀吉の前には何の役にも立ちませんでした。

「氏政さん、氏直さん。籠城は援軍に期待できるときや、相手の兵糧が持たないときにやらないと、意味ないでしょ!(笑)。」